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早春の台湾


【日程】
3/12 成田15:30発CX451、桃園空港~台中
3/13(台中)日月潭と文武廟~(嘉義)呉鳳廟~(台南)赤嵌楼~(高雄)蓮池潭と三鳳宮
3/14(台東・東部海岸)三仙台と八仙洞
3/15(花蓮)太魯閣渓谷、大理石工場~特急列車にて台北へ~(台北)忠烈祠~夜景の九ふん街歩き
3/16(台北)土産店と免税店~桃園12:45発CX450

【リンクほか】 photoアルバム 動画1点(忠烈祠の衛兵)
ツアー:阪急トラピックス「とびっきり台湾 5日間」 現地ガイド:陳進杰(チンシンケツ)さん

《見どころ》
 立霧渓沿いにある大理石が浸食された深く切り立つ渓谷と清流が約20キロにかけて続く太魯閣渓谷が圧巻。断崖が90度以上で空を狭めているところもある。他人気の日月潭の湖は、まぁこんなものか!という程度。日月潭から阿里山が望めるかなと期待したのだが…見えず、いつか阿里山登山鉄道に乗って訪ねたいもの。
 麗しの島…フォルモサとも呼ばれる亜熱帯から熱帯のさまざまな植生(台湾の南1/3あたりに北回帰線)、工業化や農業が進んでいる西海岸とまだ自然一杯の東海岸を実質3日間で周り楽しめる。
 台北の故宮博物館の人気ぶりには驚いた。目玉の<ヒスイ白菜>には長だの列で一旦は諦めかかったが、せっかく来たのだからと並んでなんとか拝見!

《街と交通》
 台北以外にも地下鉄がある高雄、高層ビルがけっこうあるの台中、台南など想像以上に大都市化していた。都市部道路で圧倒されるのはうんかのごとくのスクーターの群れ。信号では、スクーター用の停止線が交差点側にひかれていてちゃんと優先されている。自転車はほとんど見かけなかったが、多分暑い気候には合わないのであろうか。車はほとんどが日本車、中でもトヨタ車のシェアが高そう。ハイブリッド車も増えていそう。
 台北では築40年以上思える古びた10階以上の高層アパートが林立しているのが目立つ。それも空地がほとんどないように稠密に建てられ、それこそ大地震があったら!と思うが建て直ししないのかなぁ…大変そうだけど。

《食べ物》
 福建料理が元となっている台湾料理も、海鮮・田舎家庭料理・石鍋料理、広東とか目先を変えても5日間朝昼晩食べるとさすが飽きてしまいますね(-_-メ) とくに多用される香料が鼻につき、いろいろな食材の味が混じった(日本人は雑味をきらい一つ一つの食材の味を残すのが好まれる)のがなんともげんなり。
 台北のデラックス・シティホテルの朝食ビュッフェでは、<素食>のテーブルが設けられていて精進料理志向の人たちが多いことが伺えました。
 豊富な果物はおいしいものが多い。クリーミーなシャカトウ(釈迦頭)は絶品、リンゴと梨のアイノコのようなハストリの食感もなかなか。そこいらじゅうで見かける小ぶりの台湾バナナはデザートたビュッフェでほとんど見かけず。
 食べ物ではないが、台中以南では覚醒作用のあるビンロウ(檳榔)ヤシ栽培が盛ん。ガイドの陳さんがあまりに何回も説明があって一度ぐらい齧ってみたくなったが(^^; 以前はセクシーなお嬢さん達が道端のガラス小屋で売っていたそうだが、風紀上の規制が厳しくなってそんな姿は見かけず残念。

《花、樹木》
 ピンク色の花をいっぱいに咲かせるトックリキワタがとても目立つ。若い木の小さ目の花だと遠目には桜のようにもみえることがある。似たようなHong Kong orchid tree(香港櫻花)もあったように思う。台中以南ではツツジが満開なので、東京より一月半ぐらい早い。台湾の国花の梅(なぜか紅梅が目だった)など。
 街路樹で黄色の花をさかせているのを多く見たが、花名はわからず。赤い花が満開になる高木のアフリカン・チューリップ・ツリーも多い。

《時間管理好き?》
 ガイド陳さんは、移動中にあと30分で着きますとか5分で着きますとか…きめこまかいスケジュール説明が好き。それがほとんどピッタリになるので不思議であった。交差点では、青になるまでの秒数が刻々と表示され、もちろん歩行者信号でも赤になるまでの残り秒数が必ず表示される(残秒数が少なくなると歩行者マークが駆け足になる(^○^))など、よほど台湾の人々は時間管理好きと見えるなぁ。ガイドさんも2年間の徴兵に従事したそうで、軍隊式訓練が身についている人々が多い故にそうなったのかしらね?

《たくみなガイド》
 5日間にわたってバス乗車中に台湾のさまざまな説明を聞けて、海外旅行でこんなに訪問国についてのレクを十分受けたところはない。しゃべりに加えて、説明ビデオがたくさん用意されていて、台湾=日本の関係などいかに知らないことばかりと痛感。ビデオは以下のようなもの:台湾で農業水利事業に多大な貢献をし現在でも尊敬されている八田与一)、テレサ・テンの生涯、ラジュウムの北投石の効用、日本統治時代の台湾紹介記録映像(なんとAmazonで扱っていた)、大理石やヒスイなどなど。
 たぶん凡その若い台湾人を代表しているのだろうが、ガイドが大陸からの観光客をことあるごとに嫌っているようなトーンで話す。今後の中国=台湾の関係は好き嫌いに関わらず深まっていかざるを得ないので、この一般感情が微妙ですね。狭い日本だって地方ごとのキャラが違うのだからまぁその程度と割り切るのだろう。

《IT普及》
4都市で泊まったホテル全てで、部屋でのWiFi接続ができ(うち2箇所では接続パスワード必要)大変便利。最後の台北では、オープンしたばかりというデラックス・シティホテルだったので、部屋、浴室もぴかぴか広く気持ちがよかったこと。なんとトイレはウォッシュレット付き。海外でシャワートイレにお目にかかるとは(@_@)

《台湾観光全般》
 日本からの観光客も多いが、それ以上に大陸中国人観光客も多く、どこにいっても観光バスが列をなしている。周遊ツアーは、台北から西部海岸を南下し、花蓮から列車で台北に戻るのが標準コースのよう。観光ポイントでは、どこも列をなす団体バス客の乗降、バス駐車がうまくあしらえるようになっていてとてもスムーズな受け入れができていた。観光を重視する国や地方の指導がうまく機能している。
 参加ツアーはちょうど30名で、80歳をこす方も何人かおられたし、時差、フライト時間3-4時間、物価の安さんなど考えるシニアにも行きやすい国ベストでしょうね。-了-
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| 海外の旅 | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0) | home↑

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インド・ガルワールヒマラヤ<花の谷>


【ルート】Delhi-Halidwar-Rishikesh-Rudraprayag-Gauchar-Karanprayag-Nandprayag-Chamoli-Joshimath-Govindghat-Ghangalia-Valley of Flowers National Park 復路同じ ルートマップ
【期 間】2010.07.22--07.31
【ツアー】クラブ・ツーリズム花の谷フラワーウォッチング10日間 [TD 珍田知美さん]
【アルバム】 花(77点)人・景観(静止画108点 動画8点)
      2010.07.22-31 India, himalaya by Maki同 movie

 しばらく旅行から遠ざかっていたものの、以前から機会があればと狙っていた《ヒマラヤ>ブルー・ポピー>花の谷>シーズンは7-8月限定…》というのを知り、クラブ・ツーリズムのツアーに参加(計12名)。オクさんは、秘境/辺境ご遠慮なので、マネージャー兼介護役!?の娘を同道。
○高山帯の花畑はもちろんだが、氷河を抱くガルワール・ヒマラヤの深い谷の絶景がなんとも素晴らしかった
○さらに強い印象となったのが、頻発したがけ崩れによる通行止、断崖絶壁の長い山岳路の激走。ツアーの初日から最終日まで、移動中は次にどんな障害が現れるか全く予断を許さない按配で、無事に予定がこなせたのは奇跡に近い。インド旅の醍醐味かしら
○心配していた高山病・腹下しは万全の対策が奏功したせいか免れたし、体調を崩したメンバーも皆無とこの点もラッキー
○酒なし(試飲したラム酒はちょっと)、肉類なし(デリー以外)だったが、連日のカレー料理も調理(多分に日本人好みの味付けをしてくれた)の変化があって飽きることはなかった。現地食材しか使わないマクロビ食はやはり身体にやさしい
○ヒンズー教やインドの生活にまつわる話がたくさんガイドのサリンさんから聞けて興味深かった。人口12億のド迫力はたいしたもので、どこでも街は人で溢れかえっていた。街の人々を見ると、うーん貧富の差がまだ大きいんだなぁと感ぜずにはいられなかった。IT産業躍進っていったいどこの話しなのかピンとこなかった。
この先世界最多の15億人口の消費力はたしたものだろうが、貧富の問題を考えると実効5億ぐらいがいいとろのように思えてならない

【旅ノート】
 成田を12:00に離陸したエアー・インディア機は、半分ぐらいの搭乗客でゆったり。現地ではお酒がほとんど飲めないと聞いていたので、ビールやワインをたっぷりいただき、食事もカレー料理ばかりなので日本の食材を暫しじっくり味わう。シートTVのBollywoodものムービー(インド映画産業は世界一だそう)とかをちらちら見ているうちに、デリー空港に定刻より一時間早く到着。早く着きすぎたため、迎えのガイドがまだ来ておらずしばらく待機。そうこうしてうちに到着した中型バスに乗り込み市内へ向かう。日本に来たことがないのに、日本語ぺらぺらのガイド、サリンさんの楽しい説明をききながら暗くなり始めた7時にはホテル着。プルメリアやブーゲンビレアが咲きみだれていた庭を一巡り、ホテル近辺にはクジャクの姿が多くケーン、ケーンと鳴き声もよく聴こえる。

 2日目はすぐデリーからヒマラヤ裏街道"Himalayan Hideaway"を北上し、260キロ離れたガンジス川巡礼の基点ハリドワールへ向かう。バスには、サリンさんとガイド助手バーラムさん(日本語うまい)、現地旅行社プランナーのゴーシュさん、ルートガイドのモンジーンさん、ドライバーのナレーシュさん、ドライバー助手二人に添乗員さんとスタッフが8名も乗り組む。全22席のバスは、最後尾席を空けるとほぼ満席。道幅が狭い山岳路ルートに向かうツアーバスはこのTATA社製中型バスばかり。運転席の後ろに車内宿泊用らしいベッド兼助手席があり客室とはドアで仕切られているのが特徴。トラックもほぼ同じ予備席があるものばかりだった。強力なエアコンがついているが、温度調節はなくONかOFFしかなく寒くなりすぎると切ってもらったり、停めると凍結氷が融けてシートに水がしたたり落ちたりやっかい。
 ハリドワールまでは平原を走り、一部は建設中の自動車道を使う…もちろん人も自転車も、トラクター荷車、牛車そして例ののっそり歩きまわる牛さんなどもご通行となり、高速道路とは言いがたい。また片側が工事などで通行止めになっていると、片側2車線の相互交通となる位で平穏走行と思いきや、各車(もちろん我がバスも)がわれ先へとけたたましく警笛を鳴らしながら突っ走るので、ひやひやドキドキとまるで生きた心地がしない。この先の山岳路が心配になってくる。ガンガー(ガンジス河)がヒマラヤ山地からインド大平原に流下する出口に位置するヒンドゥー教の聖地ハリドワールの沐浴場はぼちぼちの人出。7月30日の帰路はお盆?が始まっていて、大群衆で溢れかえった。
 リシケシではガンガー川端で日没の06:45から開かれるプジャ(楽器入りの唄のような祈り)に参列、そばに居たインド人夫妻は長いお経をずっと詠っていました。

 3日目の朝食前には、リシケシと言えばヨガ&ビートルズ…にならい希望者がヨガ体験。指導者の超アクロバットに唖然としたようです。バスは11:00スタートとゆっくりだったので、プールサイドの小屋でサリンさん差し入れのラム酒のテイスティングをして、これからの長いバス乗車に備え(^^;
 なんせ、デリーから登山の始まるゴビンダガートまでの530Km(このうち約300Kmが山岳路)をバスで3日間かけて爆走しなくてはならず、一にも二にも忍耐!忍耐!が始まる。
 いよいよ食事の衛生状態が気になる地方に入り、わがパーティ専属のクッキング班の食事サービスが始まる。食材、食器、プロパン・コンロを積み込んだ四駆車が食事ポイントに先駆けし四人のスタッフが調理とサービスをしてくれるわけで、一番懸念されるマンゴーやパパイヤをカットするナイフも勿論生水を使わずミネラルウォーターで洗うという念の入れよう。旅の最後までにお腹を壊す人が一人も出なかったかったのはこのお陰か。この料理班メンバーを加えると、ゲストと同数の支援スタッフが同行していることになるなぁ。
 ルドヤプラヤグ(プラヤグとは、ガンガーへ流れ込む源流の聖なる合流地点を指す)までは徐々に高度を上げながら、何箇所ものがけ崩れ、道路陥没場所をひやひやしながら通過。シヴァ神伝説のコテシュワラナート寺院では、かわいらしい小学生グループが洞窟でお祈りをささげており、子どもの頃からもヒンズー教が深く根ざしていることが伺えた。いやー寺院にはお猿さんも多かったこと。
 
 4日目は、アラクナンダ川に沿う断崖絶壁の山岳路を1900mのジョシマートまで高度を上げる。途中やはり、がけ崩れの応急工事のため一時間ほど通過待ち行列で待機。スタッフががけ崩れ箇所まで歩きで偵察しにいき、携帯で通過見通しを連絡してくれる。このヒマラヤ裏街道は、中国とネパール国境近くまで延びる軍事上も重要な路線なので、パワーシャベルやローダーが配置され優先して開通させているとのこと。がけ崩れ・通行止めが日常茶飯事なのも困ったものだが、全区間で崩落防止対策するのは不可能でしょうね。なんとか通れるようになると、人、バイク、乗用車、トラックの順に通過させる。ここの路盤陥没箇所では重量のあるトラックは当分待たないと通れないような状態だった。後日聞いたところによると、開通待ちか、走行禁止となる夜間になったためか、一晩バス泊となった他の日本人ツアーバスがあったそう(-_-メ)…食事トイレがタイヘンだっただろうし、それより夜間停車中のがけ崩れ直撃の心配もあったでしょうにね。
 このツアーのウリは"高山病予防のため、ゆっくり高度順応"なので、ジョシマートには14:30には到着し、街の散策など休養。ここは、切り立った山々の眺めもよく、近くのAULIにはスキー場もあるとのことで、牛さんがのそのそ歩いていなければ"アジアのサンモリッツ"だ。
 ホテルでは急にわが団体が泊まったせいか何度か停電に。浴室のシャワーには50リッターぐらいの電気温水器があって、まずONにしておき、次に使う娘の分のお湯を残すためさっさっと浴びてすます。ここで重宝したのが持参したサンダル。トイレと一緒になった浴室はどうも綺麗好きの日本人は裸足にはなりにいくい。インド旅行には必携アイテム。

 5日目はいよいよバス終着地点ゴビンダガート(1900m)まで上がる。途中にあったプラヤグの聖地では、10人ぐらいの老人たちの巡礼グループがおり、にこにこしていろいろ説明してくれる、コミュニケーションにはならないが…。長期間の巡礼のわりに荷物がほとんどなく、宿坊のある寺では寝所や食事が提供されるにしても、野宿はタイヘンそうだ。家財土地を全部処分してから巡礼する人もたくさんいるらしく、キリスト教、仏教、イスラム教などの巡礼・巡拝ともだいぶ異なる。
 ゴビンダガートには、シーク教の大聖地ヘムクンドへの巡礼者が集結するため大駐車場があって、我々もバスを後にし装備を整え(高山病にかかったときのエアーボンベも配られる…使った場合は1000ルピーとかを支払えばよく合理的、結果的には全員使わずに済んだ)登山の開始。とても、わが隊は全員ラバ(ポニー?)に乗って13Kmの石畳登山道を4時間かけて標高差1100mを上る。ぞろぞろ連なる巡礼者の殆どは歩きだが、子どもやお年寄りがラバや籠、四人かつぎ輿を使っていた。また各人の宿泊用荷物や料理隊荷物はまとめて何頭かで運んでもらえる。
 私もこんな長時間馬に乗った経験がなかったが、ラバさんに必死にしがみついて段差の急な路を落馬せずに「花の谷」入口のガンガリアに着くことができ、ほっとした…尻の尾てい骨あたりが擦れて痛くて我慢するのが大変だったね。やたら走って先頭にたちたがるラバがいる一方やたら歩みが遅いものや、勝手に休憩したり途中でハンストするラバなど様々。この登山道の脇にはたくさんの茶店・休憩所やマッサージ所が並んでいて我が隊も途中で昼の弁当休憩をした。なお、2頭に一人の馬方さんがついてくれる。上り下りのラバが多いということは登山道上の糞尿も相当で、ちゃんと掃除担当も随所にいて多分料金の一部が回るような仕組みがあるようだ。
 シーク教の若い男性などはとても陽気で、わが隊(の女性)が通ると盛んに写真をとったり挨拶の声かけをしてくれたり、自分も写してくれとせがまれたりすることが多かった。日本人好きなのか、こんなきちんとした重装備の団体なんて、よほどの金持ちか映画スターじゃないか?!と思っているせいだとする異説もあった。
 ガンガリア(3000m)のロッジはもちろん暖房なし、ロウソクが備品…だったが18:00から23:00までは電灯は点いていた。わが隊へは、一人バケツ一杯の湯が配られ洗顔や体を拭く贅沢ができた。モンスーン時期で湿気を含んだ寝具と寒さのため、防寒ウェアを全部着込んだままベッドに入る。

 いよいよ世界遺産「花の谷」トレッキングの6日目の朝を迎えるとインドに入って初の小雨模様のあいにくの天気。情報では国立公園内登山道の一部が決壊していてゲートが閉鎖されているということだった(ここまで来てやばい!!)、とりあえず花ガイドのラジースさん(Rajneesh S. Chouhan)と合流し7:00には雨具に身を固めスタート。
 公園ゲートで先着していた7-8名のインド人グループと一緒に待機していたところ、公園管理者が園内巡視者と衛星電話で連絡をしあっているなか、わが隊花ガイドがゲートオープンを迫ってようやくOKに。
 8:00に入園し3500mの「花の谷」中央を目指してトレッキング開始、すると次々に亜熱帯高山植物が現れ始めヒマラヤ特有の花々が可憐に私たちに語りかけた。花ガイドさんの片言の日本語花名も加えながらの説明を聞きながら目当てのブルー・ポピーも発見。ただし、岩陰にひっそりと数えられるほどの株しかなくちょいと拍子抜けではあった。わが隊は行かなかった聖地巡礼地ヘムクンド湖近辺だと4200mとなりブルー・ポピー他ももっと豊富だったようだ。
 途中土石流で決壊している箇所を隊ガイド総出で通れるように補修したところを渡河したりしながら、12:00にはガルワール・ヒマラヤの山々に囲まれた深い谷の花畑に達し、雪渓や氷河に縁取られた絶景にうっとり。ここに到着するまでの苦労、忍耐も霧消するほどでした。なお、シーク教聖花サウスレアやエーデルワイスは見逃しました
 往復約6時間のトレッキング中に出遭ったのは、インドの若者グループ、タイ・プーケットからの年配大グループ(多くが輿に乗っていた)、韓国からの数名ほどであった。15:00にはロッジに帰着し、花々の余韻にふけりながら無事目的を果たしたお祝いテー・パーティを。娘も含めて大半のメンバーはロッジ専属マッサージ師のお世話になっていたようです。同宿には西遊旅行のパーティーもおり、本格山歩き派らしく「花の谷」トレッキング、ヘムクンド湖トレッキング、ゴビンダガート徒歩下山とヴィシュヌ神聖地バドリナート(3122m)訪問と、ガンガリア3泊4日の精力的プランだったようだ。とに角、不測の出来事ばかりのインド旅のわりには、花の谷に一日しか割いていないわが隊が予定をこなせただけでもラッキーであった。

 ガンガリアにもう一泊後の7日目朝、また全員ロバにまたがり下山開始。馬上では下りの方が却って恐ろしいのに、すぐ往路で痛めた尻の皮がうずきだし鞍に座れず身体を安定させるのに一苦労。途中2回の休憩をいれて3時間半でゴビンダガートへ無事たどり着く。荷物隊が降りてくるのを待ちながら予定外の地元レストランで昼食。ここまでくればもうなんとかなるだろうと腹をくくって(-_-メ)食事…もちろん念入りに皿・スプーンをアルコール消毒したのは当然。
 三日ぶりにバスに乗ってすぐ、往路ではなかった大規模ながけ崩れ箇所を肝を冷やしながら通過、その後もつづら折りの山道カーブの度にお尻の痛さを堪える"苦難!限界!忍耐!のヒマラヤ裏街道爆走"でした。ルドヤプラグまではもう当たり前になって驚かないがけ崩れ、通行止め解除待ち一箇所だけ。車中ではガイドのサリンさんの面白い解説に耳を傾けました:大乗小乗仏教から八大仏跡・四大聖地・ヒンズーの教え、早起き・早寝・結婚早い・早い子供つくりの生活、いまだお見合い結婚が普通~娘が3人もいたら親は持参金で破産、インド巨大企業のTATA財団やリライアンス・グループについてなどなど…興味が尽きませんでした。
そうこうしながらルドヤプラヤグのホテルに無事到着し、サリンさん秘蔵のラム酒を味わいなら夕食。

 8日目、あとはリシケシュに下るだけで楽勝!!と思いきや、ホテルから数キロの場所でがけ崩れ・通行止め中とまたもや待機。当分開通しないということでホテルでまたヨガや、ガイド助手のバーラムさんに数独パズルを教えたりしながら時間をつぶし午後2時ようやく目処がつきそうということでスタート。遅れを取り戻す激走につぐ激走にへとへとになって夜9時リシケシュのホテル着。食事後ベッドに入ったのが11時すぎ。

 9日目はもう平地移動なのでOKかな(^○^)と思っていたら、今度はハリドワール大巡礼行列のためハリドワール市内が通行止めになるかもしれないということで4:30起床、6時にはバス出発と相成り"不測が当たり前のインド旅"が楽しく・もうヤケクソといった按配。往路ではそれほどでもなかった沐浴場エリアはオレンジ色の服を着たデリー方面からの巡礼グループでごったがえし、自分たちの村の寺に納める灯篭のような担ぎものとガンガーの聖水のタンクを携えた老若男女(女性は少ないが)が続々とデリーに到る道路一杯に歩き出して(大半は裸足)いた。デリーまでで220Kmにもなるので2週間ぐらい歩き通すとのこと。さらに一難去ってまた一難!とばかり、またもや通行止め! 盛り上がった巡礼者数名が川に飛び込み一名が水死したことで救助できなかった警察ともみ合いになったそう。迂回路もなく一時間ほどガソリンスタンドで待機しようやくクリア。立ち寄りを予定していたランチのレストランはこのお盆で休業、やむなく他のレストランを使うなど、とに角、"確実ということがないインド旅"が最終日まで続きます。
 それでも15時ごろにはデリーに到着し、フマユーン廟、インド門、ラクシュミー・ナラヤン寺院、ラール・キラー(赤い城)、各国大使館エリアなどの車窓見物とお土産屋さん訪問(孫たちのプレゼントにするTシャツだけゲット)をこなして18時すぎにはデリー空港へ。空港では国際線は2日前に供用開始した新しいターミナル3(なんと広さがアジアで一番、世界で7番目だそう)に変更ということで嫌な予感がしたが、幸い離発着スケジュール表示のモニターがダウンしていたぐらいで、チェックインと出国手続きはスムーズであった。ターミナル内の免税店の大半の商品棚が空っぽだったのはご愛嬌。
 帰国便AI306も半分ぐらいの搭乗率で3人がけシートを一人でゆったり使いほとんど寝てこれて翌朝成田に無事到着、"意外性の少ない平穏な日本の生活"に戻ることになった。

【リンク】
花の谷トレッキング
花の谷周辺の花
ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで
ガンガリア 花の谷へ往復トレッキング
ガルワール・ヒマール
【2010年夏シーズンに訪れた方のサイト】2010.09.09現在
#いこいの山岳会山行記/インド ガルワールヒマラヤ「花の谷」トレッキング(2010年7月25日~8月4日)
#yamagorogoroさん/インド・ガルワール・ヒマラヤ花の谷(2010年8月22日-26日)
#starcirclecafeさんのアルバム/インド ウッタラーンチャル州 花の谷(Valley of Flowers)(2010年7月 254点)記事:世界のパワースポット巡り
#クラブツーリズム添乗員報告/インド・天空の楽園『花の谷』トレッキング 11日間(2010年8月1日~11日)
【資料】
"FLOWERS OF THE BHYUNDAR VALLEY, The Valley of Flowers National Park & Shri Hemkund Sahib" Chandrashekhar S.Chauhan
『ヒマラヤ百花』内田良平(朝日ソノラマ 2002)

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ドイツ・花の名園めぐり


【訪問地】ベルリン~ポツダム(サンスーシ宮殿とツェツィーリエンホーフ宮殿の庭)~ザンガー・ハウゼン(ロザリュームバラ園)~ライプチヒ~ドルトムント(ヴェスファーレン公園バラ園)~リューデスハイム(ライン下り、ザンクト・ゴアルスハウゼンまで)~ハイデル・ベルグ(ハイデルベルグ城、アルテ橋など)~ヴァンハイム(ヘアマンズ・ホーフ庭園)~ローテンブルク~フュッセン(ノイシュバンシュタイン城とヴィース教会)~ボーデン湖・マイナウ島(レナード・ベルナドッテ庭園のバラ園)~ミュンヘン
【ルート図】Gmap マイマップ
【期間・旅程】2009年6月25日~7月3日、旅程、 [TD 下野康子 さん]
【アルバム】 花編(216点)、観光編(160点)

【旅ノート】
 ヨーロッパでバラ園をまわるツアーを探していたところ、クラブツーリズム「世界屈指のバラの名園と花一杯のドイツハイライト」がみつかり参加することに。参加して分かったのだが、同社の趣味サークル「花倶楽部」の企画によるもので、参加者10名のうち半数がそのメンバーと、当に花好きのためのツアーでした(男性はもう一方と私の二人のみ)。
 Ref.花を愛する仲間達の出会いと交流の場:季節の花だより

 訪ねた5つの庭園のうちバラ園が3つ―それぞれが大変広いガーデンにゆったり植えられていて、タントウ、コルデスなどドイツ育苗社のものが多く、次にメイランド、デルバードなどフランスもの、ほかに英国コッカーのものなどが目についた。日本のモダンローズ偏重に較べると、オールドローズもけっこう多い。それと、とくにロザリュームなどでは、若い小型株が大半で、多分バラ株の販売もしているので育苗と兼ねたバラ園のような印象。却って東京と近辺でよく行く、京成、神代、大船、新宿御苑などの方が、年季の入った太い株が多いように思う。各園での鑑賞時間(ロザリューム70分、ヴェスファーレン2時間、マイナウ2時間)は予想通りかなり限られていた。せっかく訪ねたのでもうちょっと時間が欲しかったところ。
 またバラの見ごろについては、各園ともピーク過ぎで開花遅めのものが主力。関東では5月上旬に見ごろ直前となることから、一月遅れと言われるドイツでは、6月中旬までぐらいが適しているようです。

 今回は、庭園と主な観光スポット両方をしっかり回るということで、北から南までの3000キロもアウトバーンをひた走り(豪華大型バスに10名とゆったりと…)、ドイツ8街道のうちゲーテ、古城、ロマンティック、アルペン、ファンタスティック街道と5街道もカバー。移動は大変だったものの、よい天気、おいしいビールと食事、花・園芸となると尽きない話好きメンバーと話題豊富な添乗員さん(音楽好きでもあり長い旅の車中にたくさんドイツ音楽をかけてもらいましたし)に恵まれた旅であった。

◇各庭園の印象
1.サンスーシ宮殿とツェツィーリエンホーフ宮殿の庭 Shloss Sanssouci日本語パンフ
 サンスーシ公園は290ha(ざっと2500m×120m)と兎にかく広大。宮殿の南側へ6段ほどの広いステップを降りた一番下に、種々の花々で囲った噴水がある。他にもちょっとした花壇が点在しているようだったが回りきれず。 ポツダム会議がおこなわれたツェツィーリエンホーフ宮殿にはこじんまりながら自然を生かした花々の庭園があった。鍵穴を模ったシンプルな内庭がとても素敵。

2.ロザリュームバラ園 europa-rosarium sangerhausen
 広さ12.5ha、バラ8,300種…と世界最大を謳っており、バラ苗販売もあるところは、京成バラ園のような雰囲気。広すぎてとても全部は見切れない…珍しい緑のバラもあったそうだが見落としました。岐阜県可児の花フェスタ記念公園が6万平米なので、その倍の広さがある。

3.ヴェスファーレン公園バラ園 Westfalenpark Dortmund
 The National Rosarium in the Westfalenparkとあるので、ドルトムント市営のヴェスファーレン公園に、ドイツ・ローズ協会(GRF)の企画として作られたバラ園のようです。市民が家族連れで楽しめる70haもの大公園には種々の花壇が配されていて、敷地のざっと20%程度がバラ花壇になっていて、ロザリュームバラ園と同じぐらいの広さだが、バラ種別、産出国別など30のガーデンに緻密に分けられて(ドイツ人らしい)、株ごとのプレートもしっかり、手入れも十分とかなりの見ごたえ。ここでも半分ぐらい見ると時間がなくなり、後半は駆け足!!ということに。
バラ配置マップはドイツ語版pdf 区画名を機械英訳したもの
 バラ以外にも種々の花々(ちょうどダリアが見ごろ)・樹木など多様な植生や広大な芝生・池などが楽しめます。そう、立川の昭和記念公園に本格的な世界クラスのバラ園を作ったようなイメージでした。

4.ヘアマンズ・ホーフ庭園 sichtungsgarten-hermannshof.de ※ドイツ語のみ
 ヴァンハイムは、先端の不織布技術をもつメーカーらしい(知りませんでしたが…)フロイテンベルグ社の所在地であり、従業員や顧客のために整備されてきた同社庭園が無料で公開されているもの。ハイデルベルグの日本人ガイド中村さんも初めて訪ねるそうで、まさに知る人ぞ知る!!ナチュラルガーデン。私の知る範囲では、御殿場の秩父宮記念公園の雰囲気に一番近いか? 花々は園芸種的なものは少なめで、この時期よく見かけるオニユリ、サルビア、ノコギリソウ、エキナセア[ムラサキバレンギク]、デルフィニュウム、ラベンダー、サントリナ(以上、同園ガイドからガイドさんが和訳したもの)などがごく自然な植生の姿で咲き乱れていました。初めて見る花も多かったが、なにしろドイツ語名札が読めず不詳。博識家ぞろいの花倶楽部メンバーさんたちも大喜びのようでした。

5.マイナウ島のレナード・ベルナドッテ庭園 www.mainau.de ※ドイツ語のみ
 スウェーデンのレナート・ベルナドッテ伯爵が1932年に島に来て45haの島全体を庭園として仕立て公爵が亡くなったあとは財団が運営。400品種、9000株あるバラ園ぬ加え、シャクナゲ園、ダリヤ園、熱帯園(蝶のコレクションがご自慢のよう)、子どもの遊び場など45haの広い庭園に散在する。
 バラ園は、方形の芝生区画の周囲に沿って植えられていて、とても見やすく、手入れもよい。やはり、タントウ、コルデス、ノーアック[Noack]などドイツ生産者のバラが多かった。ここでも、園内レストランでのランチを早く済ませ、かわいらしいお嬢さんのガイドとも別行動でバラを撮りまくっていたがタイムアップ、陸側ゲートの集合場所までひた走り。いやー!遠かったこと。
 訪ねたのは平日の水曜日だったのに、たいへん来園者も多く人気の庭園のよう。スイスとフランスとの国境も近く各国から訪れているようだ。日本から挙式のためにでかけるカップルも多いとか。

◇アウトバーンならではの長距離移動
 今回は毎日500キロぐらのバス移動があって、こんなことができたのは縦横に張りめぐらされた高速道路網だ。それも想像以上にきめこまかく建設されていて今更ながら驚いた。ざっと見た感じでは、乗用車とフルトレーラー・トラック、バスばかりで、日本のような2トンぐらいデリバン・トラックやら軽自動車など雑多な車種はあまり見かけない。他の違いは、行き先案内や規制標識などごく少ない、照明設備は皆無、混雑情報表示はめったにない、原則無料だが12トン以上のトラックが2005年から有料(ETC徴収)、サービスエリアのトイレは有料(その50セントはエリア内のショップでリファウンドされるので合理的)。
 速度無制限区間では、200キロ近くぐらいで追い抜いていく乗用車もけっこうあるが、総じては運転マナーはさすがにいい。都市近郊を除いては交通量が少ないからでもあろう。昨年ガソリン価格が急騰して、日本の高速道路では一斉に走行速度が低下したが、バスドライバーに聞くと、ドイツでは全然速度抑制はなかったそう。
地方部では、工事が多く車線規制区間もやたら多く何キロも渋滞している箇所もあった。何年も工事が続いて終わりそうもない…ともこぼしていた。

◇街にて
 どこでも街路・建物(屋根・壁の形状色が統一)が整っていてキレイ…屋外広告規制も寄与しているんでしょうね。大抵の街にはライトレール(路面電車)が走っているし、自転車利用もとても多い。環境意識の高さはもちろんだが、アルプス地方を除けば、国土全体がフラットで山坂が少ないこと、広々した幹線路で自転車専用レーンなど設けやすいのだろう。
 お店でいうと、コンビニなんてほとんど見あたらなかった。元々殆どの店は夕方6時には閉店しなければならないので、24時間オープンなんて成立する余地ないし、便利ばかり最優先の日本とは大違い。
 あっちの人たちの体格の立派なこと!!、ドイツの人に伍するS添乗員さんをのぞくとわが日本人ツアーはまるで子どもクラス。ベルリンでは、イラン大統領選挙の結果を巡ってのデモが起きていてパトカーやヘリが出動(お陰でホテルからの外出自粛)していたものの、他では街中で警官やパトカーはまず見かけない、総じて治安はいいということであろう。

◇車窓から
 ベルリンからスタートしてまず目につくのが風力発電のファン、多いところでは一つのエリアに40基ぐらいも林立しており壮観であった。それも数分走ると、視野のどっかに次々と現れる。風の強い北ドイツならではだし、ただ平原が延々とあるだけなのでよけに目立つ。南部では代りに、屋根上にソーラーパネルを設置した家をたくさん見かける。ガイドさんによれば、ドイツの脱原子力発電(2021年完全終了)が決まってはいるが、自然エネルギーだけで、これまで原子力30%ぐらいをカバーできる訳はない…ということであった。
 中部以南では、小麦畑がもう延々と連なる、ほかに牧草、飼料用玉蜀黍、野菜類…。ただし、酪農国と言われる割には、牛の放牧などはあまり見かけず。南ドイツアルプス地帯や、バイエルン・アルプス周辺では、ブドウ畑ばかりとなる。

◇ビール・食事
 ドイツの食事というとパン、ジャガイモ、ソーセージ、ザワークラフトだけといった印象があったが、ホテル・レストラン食は、さすが食材調理ともとても豪華でボリュームがすごい。ホテルの朝食ビュッフェも、とにかく余分に摂らないようにしないと、後の昼夜食が食べられなくなる。ただし普通の家庭では、今でもごくシンプルな食事だそう。あの体格は、やはりビールからきているのかしら?
 ユーロ高で物価は高そうと思ってはいたものの、レストランでのビール(だいたい0.5L)は2~2.5ユーロぐらいでごくリーズナブルであった。昼夜とも、まずローカルのピルスナーを飲み、次にダークのデュンケルか白ビール(小麦)をもう一杯!とついつい飲みすぎ。
 現在でもビール純粋令(ビールは、麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とすべし)が守られているそうで、日本の第二のビールとかビールテイスト飲料なんか、もってのほかなんでしょうね。テーブルで教わってジョッキを見ると、ここまで注ぐべし!というラインが必ず入っていていました…注ぎ方で揉めないようにというか何事にもきちっとします。
 食事のうち何回か出てきたましたパスタ風のものが曲者で、もう茹ですぎふにゃふにゃでげんなり。かの国にはアルデンテなんてのは望めそうもありません。

◇閑話
 夏時間で一時間時刻が早まっていても、朝はだいたい4時から明るくなりだし、夜は10時すぎないと暗くならない。ローテンブルグでは夕暮れの刻一刻と変化していく群青色~濃紺の空が素晴らしいと勧められたが、その時間まで起きていられずザンネン。日本では全くナンセンスなサマータイムも、ドイツのような緯度帯では合理的です。
 ドイツ人の働き方について教えてもらったところ、年間6週間の有給休暇があって英仏あたりの5週間も凌駕し最長とのこと。帰国後調べても年間総労働時間は1560時間で、日本2150時間、米1900時間より大巾に少ない。社会保障の違い~失業保険の給付が充実…就業しないでも食べていける…安い賃金で働くより失業給付の方が多額~など、いかに少なく働き、家族や自分のための時間を増やすことが最優先となっていることが分かる。
Ref.福田直子『休むために働くドイツ人 働くために休む日本人』PHP 2004
 どうりで、世界中のどこに言ってもドイツ人旅行者が一番多いのは、こんな就業意識からきているかもしれない。

 街中でワンちゃんをたくさん見かけたが、ペットの商業販売は禁止されていて(ペットショップはない)、各地の協会か新聞雑誌の"譲ります欄"のようなところに申し込む。家族の一員としてちゃんと飼える資格があるかチェックされるのだ。もちろん、ペット税(年12,000円ぐらい)がかかる…つまり安易には飼えないしくみができている。

◇おすすめ参考図書 : 谷克二ほか 『ドイツの田舎町~ヨーロッパ史の舞台を歩く』旅名人ブックス 2006年 日経BP企画

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ドイツ庭園めぐり、まとめ準備


 留守中にたまったものの片付けが一段落し、ようやく今日から旅の記録作りを開始。
とりあえず、整理の要となる、旅程(旅行社ページをベースに編集)と、下のマイマップのルート図を苦労して(ドイツのパンフとかウェブは英語表記が少なく、地名とか文字数の長めのドイツ語を読み解かなければならない…そう言えばアウトバーンの地名・行き先案内標示も英語なし)作成。
 今回はドイツの南3/4ぐらい…ざっと3500キロぐらいを6日間で走り回ったことになる。出発前から腰痛・背中痛だったのでよけいしんどかったなぁ。

より大きな地図で 2009 ドイツ・庭園めぐり を表示

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ペトラ遺跡の幻の花


 ペトラ遺跡では、チューリップの原種らしい株をたくさん見たがどんな花が咲くのか調べてみた。
一説では”Desert Onion”とも書かれていた旅行記があり、"petra desert flower"でFlickrを検索して見つけたのが以下。
 一斉に開花している景色は見事でしょうね。日本だと4-5月だが、ペトラでは1月のようだ。

Ref.callmetim
Taken on January 18, 2007

Ref.Mark & Kylie
Taken on February 7, 2007

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シリア・ヨルダンへの旅、沙漠に埋もれた文明を求めて


【訪問地】ドバイ~アンマン<ヨルダン 以降も>~マダバ・ネボ山~死海~ペトラ[WH]~ワディラム沙漠~クセイル・アムラ[WH]~ジェラッシュ~ボスラ[WH]<シリア 以降も>~パルミラ[WH]~クラック・デ・シュバリエ[WH]~ダマスカス[WH] ※[WH]は世界遺産
【期間・旅程】2009年2月10日~17日、旅程(クラブツーリズム・グランデ) [TD 茅原こずえ さん]
【アルバム】 Picasa:257点
【ショートムービー】経由したドバイ空港、コーランの響|ワディ・ラム砂漠の4WD走行|ボスラ遺跡のなかの巨大な劇場 :YouTube

【旅ノート】 大スケールのペトラ遺跡はぜひ訪ねたかったものの、イスラエルのガザ侵攻には周辺イスラム国も関係がなくはなく不穏でもあった。1月18日に一応、イスラエルとハマスの夫々の停戦宣言もあり、敢えて決行することに(まぁ火種はいつまで待っても消えそうにもないし…)。ちょうど立ち寄りたかったドバイに寄るツアーも見つかってラッキーとばかりに一人参加(神戸三田の元気なSさん[なんと81歳!!]と相部屋)。
よほど人気コースらしく、札幌・名古屋・関西からの参加者を含めて総勢26名の大ツアー、うち男性は7名だけで主力は活発な女性陣でした。現役学生やらファミリーのお嬢さんやら、けっこう若い方の参加もありました。

◇ 最大の収穫はなんと言っても、ペトラ遺跡の想像をはるかに超える壮大さに度肝を抜かれたこと。宝物殿エル・カズネ、円形劇場、王家の墓、エド・ディル、凱旋門など美しい巨大建造物が、それも紀元前に作ることができた文明がメソポタミアのかなり外れにも存在していた。ペトラの広さは900平方Kmといわれていて、620平方Kmの23区より広域の文化圏であった。乾燥した沙漠性気候のなかで、何千年も形を留めることができる石の建造物はまさにタイムワープだ。これだけの文明でも永続性はなく、栄枯盛衰が繰り返されることなどに改めて思いが馳せる。
 広いペトラを朝から夕方までほぼ歩き通してへとへとに疲れましたが(2月でもけっこう強い日差、夏場は避けたほうがよさそう)、グループの3人の若い女性陣は、当日夜遺跡内であったキャンドル・サービス<ペトラ・バイ・ナイト>にも参加。一日2回歩きはとても大変でしょうが、それだけ感動も大きかったそう。

◇ 他の遺跡もスケールは違うものの夫々魅力があった。アンマン市内のローマ劇場、ジェラッシュのローマ都市遺跡、ボスラの立派なローマ劇場、パルミラのベル神殿、クラック・デ・シュバリエの聖ヨハネ騎士団の要塞城も同じような魅力があった。アンマン郊外の隊商宿アムラ城も世界遺産なのでしめて6箇所を訪ねた。ただアムラは、原野にぽつんと小さな浴場があるだけ…へーこれで世界遺産なの??と思うほどこじんまり。一方、ジュラッシュなどは、その壮大さで当然世界遺産クラスと思われたが、ユネスコに申請するといろいろ制約が多くなるので申請予定はないとのこと。お墨付きはあまりあてにはならないということ。

◇ 名所の死海は、シーズンオフで寒く風波もあって、5分ぐらい一応ぷかぷか浮かぶ体験をしただけで何ということもなし。この時期は、日本とドイツからのツアー客ぐらいで閑散としている。あわてて水につかっていたので、高濃度の塩分をなめたり死海グッズで人気の底の泥を体に塗ってみる…なんて全員が忘れていました。なお、ツアー案内にはひも付きサンダルがあるとよい…とあったが、裸足で何の問題もなさそう。

◇ 初めのうちは珍しくて堪能していたアラブ前菜料理…ナンのようなホブスというパンに各種豆野菜やペースト、チリをはさんで食べる…は、連日の朝昼晩となるとさすがうんざり。朝食ビュッフェは当たり前として、全夕食(ホテル)と何回かのランチはすべてビュッフェ!! 食べ物の種類は多いものの、どこもほぼ一緒(不詳の食材が多いせいかも)で、これは飽きてしまう。旬の食べ物を味わえる日本はいいなぁ!!というのが結論。なお、大きな町ではホブスをオートメーションで焼くパン屋もありました。
 さすが牧畜が盛んなので、チーズ、クリーム、ヨーグルトもたっぷり。良かったのは野菜、果物が豊富なこと。お陰で旅行中はいつも悩まされる便通も今回はカイチョーでした。

◇ 一方、かの民族は甘いものに目がないようで、朝食ビュッフェからドーンと各種ケーキが並ぶほど。ピスタチオやゴマをあしらったクッキーなども人気でスークでは山のように積上げて売られていた。
 ダマスカスのスークにあるアイス屋さんの、ピスタチオたっぷりのアイスケーキ(シャーベットとの中間)もおいしかったこと(^0_0^)
 アルコールについては、幹線道路沿いのレストランでは禁止されているものの、ホテルやレストランでビール/ワインがオーダーできき、他のアラブ諸国よりは寛容なよう。タックスフリー店では1-2ドルのアムステル缶ビールが9~12ドルとかかめちゃ高い。p.s.パルミラではシリア・ビール(6ドル)を試したが、馬の○○風でおすすめできません。レバノン・ビールはまずまず。
 ダマスカス旧市街では、喫茶店(チャイハネ)で飲んだあまーいチャイがおいしかった。店内では炭火の水タバコを吸う人も多く(若い女性も!)わがメンバーが撮らしてと頼むと、みな気さくに応じてくれていました。

◇ 前述ダマスカスのチャイハネでは、店内にはカナリア?の鳥かごがあってきれいな歌声を聞かせてくれていたし、他所でも鳥かごを多く見た。ダマスカス市内では、夕方伝書バトがそこいらじゅうで舞っていて、シリアの人は鳥好きなのかしら? ※miriyunさんによると、ハトはまず食用!!、次に昔から有用だった伝書鳩としての活用(いまどきは必要ないだろうからノスタルジックとしてか?)だそう。

◇ NHK沸騰都市「砂漠にわき出た巨大マネー」で話題になったドバイは、高層ビルラッシュ、中東初の自動運転メトロ建設など<何でも世界一>という噂通りの急成長ぶりを目のあたりに出来た。街もきれいで車もピッカピカ高級車ばかり。ガイドのMoriyaさんによると、発展の限界(バブルの終焉)というような雰囲気は地元にはないし、中東の経済センターとしての発展を目指し脱石油の収益構造が実現化しているのだそう。
 人口450万のうち80%が出稼ぎ労働者が中心となる外国人だそう。どうりで、どこを見ても労働をしているのは外国人ばっかりというように見受けられた。

◇ どっぷりイスラームの世界につかってきたが、まだ真っ暗な早朝5時からコーラン礼拝のアザーンが何処でも聞こえてしまい(大きな声では言えないけど)いい迷惑。お陰で規則的な生活ができた?のか、旅行中も帰国後も珍しくまったく時差ぼけがなかった。ダマスカスでは、7世紀末に創建され世界でもっとも古い時期のモスクとして知られるウマイヤドモスクへ。女性陣は恐ろしげなグレーのネズミ男風の頭巾・ガウンを着せられて20名も団体で進むと異様ではあった。モスク内は、円座になってなにやらのアジテーションに感激して泣いていたり…ごったがえしていた。ガイドによるとイランからのツアー客がとても多いそう。

◇ ツアーバスのトラブルが多かった。アンマンに着いた夕方は強い風雨のなか渋滞の中で(下手な運転の)お母さんの乗用車に追突、ポリスが来るまでずっと待たされたし、翌朝の出発時間になってもなかなかバスが到着せずいらいら。シリアでは、パルミラに向かっていた19時ごろ、トイレストップしたバグダッド・カフェーでラジエーターの水漏れ修理(ホテル着は21:00)、パルミラからダマスカスに移動中は後輪内側のパンクで、時間がかかったタイヤ交換…とご難続き。バスそのものはヴォルボの最新高級コーチで乗りごごちは良かったのにね。

◇ 花など アルバム中の花木セレクション
 花数は多くはなかったが、アーモンドの花が咲き出していた。ペトラがN35.44と東京N35.41と同じ、アンマンN35.93、ダマスカスN36.25と関東ぐらい。珍しいものでは赤い実をつけたワイルド・ペパー(高木)が随所に、日本でいう「胡椒の木」(ジンチョウゲ科常緑低木)とは違う。他にはブーゲンビレアが気候に合うらしく多い。遺跡には黄色の各種野草が(たぶん何千年も)咲いていた。

【リンク】
旅ともSammyさんの思いつき日記ペトラ・アルバム
関連エントリー:ドバイ国際空港エミレーツ航空ペトラ遺跡の幻の花

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シリア・ヨルダンへの旅、エミレーツ航空


 せっかく中東へいくので、ドバイへの立ち寄りと、機内サービスで評判のエミレーツ航空への初搭乗が楽しみであった。
 フレッシュフードというきちんとした食事、おいしいワイン(オーストラリアのジャコブスクリーク)、関空~ドバイのA340-500では星空の凝ったキャビン天井、ざっと1000チャネルもありそうなシネマ・TV・音楽のAVサービス(このiceエンターテインメントシステムは他機材のようにインストール時間が不要で搭乗後すぐ使えるのもすごい)、優しそうなきれいなお嬢さんアテンダントなどなど。ただ体格のいい(メタボ系?)アラブの方々にあわせているせいか、私にはシート座面が高すぎて足が床につかないほど高すぎました
  ドバイの発展とともに急成長してきた同航空も、グローバルな景気後退の影響を受けて、この3月で中部国際空港路線は廃止となるそう。
帰路のフライトでは、2/16のドバイ選手権に出場した杉山愛さんが乗っていた(1回戦で、第11シードのマリオン・バルトリに惜敗)。ファン?から声をかけれれると気さくに応えていた。トランジットのチェックイン中、当方があわてて落とした航空券の半券を拾ってもらっちゃいました

【photo】座席のスクリーンで表示できる前方カメラ画像は迫力十分。関空への着陸シーン

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シリア・ヨルダンへの旅、ドバイ国際空港


 昨夜、ダマスカス>ドバイ>関空>羽田と乗り継ぎ無事、帰宅(26時間!!)。
 東西文明が交差する砂漠に埋もれたペトラやパルミラの遺跡群が想像を越える規模と美しさであり、歴史文明の栄枯盛衰に思いを馳せることができました。

 経由したドバイ国際空港(5時間も乗継待ち時間がありたっぷりほっつき回れた、ターミナルの広さ世界一)では、T1・T2の大ケールと派手さ(巨大な壁面イルミネーション、噴水、巨大椰子の木の植栽、DFショップ、100人ぐらいいっぺんに乗れそうな巨大エレベーター…)に度肝を抜かれました。ホテルからスパまであるし、ショップも24時間営業でした。比較的ハイソ?なT1に比べ、T2はアジア方面便が多いらしく、床やシートにごろごろ寝転んでいる出稼ぎインド系の人たちで溢れかえっている光景はすさまじかったこと。
 その後で到着した関空ターミナルは、まぁ簡素だし閑散としていて、時代に取り残されているような感じが否めない。

【photo】ドバイ空港ターミナル 上:4連エレベーター、下:深夜2時!の人出

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黄葉のアルプス - ドロミテ、チロル、ベルニナ、バイエルン


【アルバム】出発~ツークシュピッツェ~サンタ・マッダレーナ~ドロミテ街道~ミズリーナ湖~インスブルック~ゼーフェルト~サンモリッツ~ベルニナ特急~コモ~ミラノ・帰国:Picasa 188点
【ショートムービー】ドロミテのサンタ・マッダレーナの教会|ゼーフェルト・聖オズワルド教会の鐘の音|サンモリッツでの夕暮れのカウベル[YouTubeリスト]
【旅ノート】
 燃料サーチャージの高騰にもめげず、北イタリア・ドロミテを中心にしてアルプスの山々の雄大な眺望を求めて、ドイツ~オーストリア~イタリア~スイスと4か国を訪問。つまりはヨーロッパのウィンター・リゾートめぐりをしたことになる。とくに感激したのは、ドイツ最高峰ツークシュピッツェ山頂駅からの眺め、アルプス越えのベルニナ特急、ドロミテ紹介の看板に登場するサンタ・マッダレーナ村、神秘的な青色をたたえるカレッツァ湖、サンモリッツ湖畔を散策しながらの絶景など。
 黄葉については、ドイツ辺りが一番で他のエリアでは黄葉した木々がぽつりぽつり…といった按配。オーストリアからイタリアにぬけるブレンナー峠の復路とサンモリッツでは一面の雪景色になってしまって、黄葉が楽しめるシーズンは短そう。
 今回は4か国が隣り合っている地域だけ訪れたのでバス移動距離も短く、毎朝ゆっくり出発だったし、観光のオフ近くでどこも人が少なく全体にゆったり。おいしいビール、ワイン、食事(塩っ辛味のドイツを除いて)も楽しめました。ただし、コルティナ・ダンペッツォでの昼食の大サイズ!!マルゲリータ・ピッツァをがつがつ完食したら、あとで消化不良で胃腸がきりきり傷み結局次の一日は絶食。けっこう完食した方も多かったようだが、ほかの皆さんの丈夫な胃腸には感服 ?!
 旅のおまけは、荷物の遅延(ロスト・バッゲージ)で、成田に着いたら荷物が着いておらず(なんと12人分)2日後ようやく宅配されてきました。中には往復ともディレイになったメンバーもいて、ロンドン・ヒースローの最新鋭第5ターミナル(2008年3月オープン)と言えども、ディレイを覚悟して乗り継がないといけないようだ。

【訪問地】旅程(現地 2008年9月30日~10月5日)
◇ドイツ最高峰ツークシュピッツェ
 登山列車(バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道)の終着ツークシュピッツェ・プラット駅(2588m) からは、白銀の大雪渓と点在するスキーリフトが望める。途中駅でラック式の電車に乗り換える予定だったが、最新車両はレール/ラックの共用らしく直行できた。
 次にロープウェイに乗り継ぎ、2950mの山頂駅へ着くと、快晴のなか周辺4カ国のアルプスの絶景が堪能できる。展望台のすぐ横にツークシュピッツェのピーク(2962m)があって、何人かの登山者が登頂していたのに刺激されわがグループの男性3名が挑戦。風も強いなか、装備もなく無事に戻ってこれて幸いでした。この山頂上にはドイツとオーストリア国境がありバイエルン側とチロル側展望台(オーストリアに降りるロープウェイもある)に自由に行き来ができた。EUになって国境ゲートはなくなったということ。帰路は、お奨めルートらしいアイブゼー・ロープウェイ(2000m 15分)で下山。Ref.日本語のパンフpdfもありました。

◇ドロミテの代表風景:サンタ・マッダレーナ村
 ドロミテに行きたくなってしまうこと請け合いのここの写真は、旅パンフ(私がこのツアーを選ぶ決定打!)だけでなく、なんと成田第一ターミナル出発ロビーにも大ポスターが掲げられているほどのウットリもの。村に着いて、花々を飾ったバルコニー窓の家々やロッジをぬけ、のんびり草をたべている牛さんの牧場を通り、その写真の撮影ポイントまで散策。当日は晴れてはいたけど、残念ながら遠望できたはずのMt.Odle (Geisler、ガイスラー)の山々は半分雲に隠れてていてその雄姿はみられず残念。わがグループ以外には人の姿のない静かな丘陵や花々をを楽しむ珠玉の2時間でした。
 そうそう、St.Magdalener で検索してヒットするのはワインばかりであり、さすがランチにいただいた赤はおいしかったし、ここの名物の3種(チーズ、ほうれん草、赤カブ)のねり物のカネデリにぴったりのワインでした。
 AllPosterのSanta Maddalena風景ポスターリストなどもあるが、前出の風景写真はどうみても合成のようだ。

◇ドロミテのカレッツァ湖
 ドロミテ街道の東側、ボルツァーノから40分ほどで着く針葉樹林の中のカレッツァ湖は、見たこともないようなエメラルドグリーンの湖水と、そこに写る山々が素晴らしかった。ここも私のデジカメと腕では、ちょっと影で暗めの湖面と雪をいただく山々を同時に撮るのはとても難しい。

◇雪のサンモリッツ
 1928年と48年の2回も季オリンピックの会場となった憧れのサンモリッツのホテルの周りは全面雪景色!! 翌朝はフリータイムが一時間半ほどあり、湖畔散策(セガンティーニ美術館希望者が多かった)を。湖畔からスキーコースのあるピッツナイルなど周りの山々の眺望はまさに絵はがきのような美しさ!! 2名の男性がサンモリッツ湖一周されていたが約3Kmで45分ぐらいのようだった。山陰のほうの遊歩道は凍っていてしんどかったそうだ。いつかこのスケールの大きい大パノラマ・ゲレンデをスキーしたいものだ。
P.S.サンモリッツの公式サイトには、8台のライブカメラがある。向こうは時差-8時間(夏時間期間は-7)あるので日本の15時ぐらいから明るくなりだす。

◇アルプス越えのベルニナ特急
 ユングフラウ鉄道や氷河特急と並ぶ人気のベルニナ鉄道では、パノラマカー(窓が開かずカメラはガラスの映り込みがでるので、いい写真をとりたい人は普通車両の方がベター)に乗車し、サンモリッツからイタリア・ティラーノまでの2時間半のアルプスど真ん中の景観を楽しめた。モルテラッチュ、カンブレナ、パリューの3つの氷河、ラーゴ・ビアンコと呼ばれる氷河湖が車窓の左右から望め、最高地点はベルニナ峠の2253m、最低地点はティラーノの429mと標高差は1800m以上だそう。
 乗車した列車には車内販売がなく、サンモリッツ駅構内の売店で買っておいたビール(500cc缶2本で5e)が役立ちました。いい気分で撮ったデジカメが200枚ぐらいにもなってしまいました。なお、ユーロで買物をすると普通はスイスフランでお釣がくるが、今回はちゃんとユーロで戻ってきて助かりましたね。スイスは今後もEU加盟はしなさそうだが通貨はユーロにしてもらうとよいように思えるが?

◇オーストリア・チロルとイタリアを結ぶ要衝:ブレンナー峠(1375m)
 今回はインスブルックからドロミテへの往復2度通ったが、一日はさんだ帰路にはがんがん雪が降っており、峠では10cm近くも積もっていたのは驚き。まるで違う景色が楽しめた。時間に余裕があったこともあり、2回とも旧道を通り、トイレ・ストップやショッピング(イタリア側にガラス張りビルのアウトレット・モールが今年開店)ができる。峠のオーストリア側に建設されたヨーロッパで最も高い190mもの高速道路橋(ヨーロッパ橋)も旧道からなら眺められる。

◇その他の訪問地の概要
 インスブルック近くの高原リゾート・ゼーフェルトは小さな美しい村で、今回廻ったなかでは一番観光客が多かった。同じくチロルの"フレスコ画壁のある家々"のミッテンバルトも静かな村で良かった。ドロミテ街道の最高地点ボルドイ峠(2239m)では、ロープウェイでサッソボルドイ山頂(2950m)へ登ったものの一面の雲中で景色は残念ながら見られず。5日目訪ねたコルティナ・ダンペッツォも雨模様だったが、近くの"ドロミテの真珠"と呼ばれるミズリーナ湖を散策しながら一周(25分ぐらい)。時おりの晴れ間から、トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード山のかすかな姿が望めました。最後に立ち寄ったイタリアで三番目の大きさのコモ湖は、途中の道路渋滞で到着が夕暮れになったものの、日曜日で繰り出してくるたくさんの家族連れやグループの姿が印象的でした。
【旅の印象】
◇主にアルプスの標高の高い山麓地帯を巡ったせいか、樹林帯とまばらに点在する家々以外は、ほとんどが広々として無用な構造物も雑木もまったくないフラットな牧場地になっており、そのすっきりした美しさに今更ながら感銘を受けた。商品看板や無用な案内標識もまったくなく、家々の造はチロルならチロルらしく統一されていたり、また家々のベランダ・窓が花々で競うように飾っていることにもよるのだろう。美しい景観とは縁遠い日本とは比べものにならないなぁ。

◇他には、朝7時ではまだ真っ暗の夏時間制に違和感があったこと、ミラノの休日と出勤時の交通渋滞のすさまじさ、ミラノ空港ではチェックイン・カウンターに長蛇の列でも気にせず、それも楽しそうに電話しながらのノロノロ仕事ぶりの係員、出国ゲートも長蛇の列の不能率さ… 最後成田に到着したら荷物が着いておらず遅延(グループ30名のうち12人分も! ヒースローでの乗継時間が短かったせいか)のおまけまでつきました。現地観光には問題なかったものの、航空機移動については苦労が多いですね。(とりあえずの完)

【リンク】ご一緒した佐藤真樹氏のフォト・アルバム:ドロミテ・チロル・ベルニナ特急紀行

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カムチャツカ、手つかずの自然の宝庫


【アルバム】 アルバム 132点 判明した花名は入力済 8/12
【ショートムービー】【1】少数民族イテルメンの民族舞踊|【2】ビストラヤ川のラフティング|【3】大揺れの六輪駆動車 [YouTubeリスト]
【印象・トピックス】
 カムチャツカ半島の南東部に位置する唯一の都市ペトロパブロフスクをベースに、周辺火山帯の高原フラワー・トレッキングと温泉、川下りのラフティングが楽しめた。朝晩は17℃ぐらい、日中は30度ちかくの気温になるが湿気がなく爽やかな風があるので暑さは感ぜず素敵な避暑の旅でした。

◇手つかずの大自然
 この地域が外国人客に開かれた1990年からまだ間もないことと、シーズンが一年のうち2ヵ月間と短く本格的な観光客受け入れ施設の整備が難しいことなどにより、自然がそのまま残されている。ただし、原野と遠望される富士山クラスの標高の山系(五山)、7-8mにもなる積雪のためか高木がなく中低木(さらに針葉樹が全くない)だけなので、"秘境"というようなイメージではない。
 基地と漁業が中心のペトロパブロフスクを離れると、建築物も農地牧場もほとんどなく、ただ荒野が広がる。移動ルートにレスト・ストップできるドライブイン等は全くなく男女とも青空トイレが当たり前となる。

◇夏だけのチャーター直航便
 この直航便以外では新潟からウラジオストクで乗り継いで2日間かけてペトロパブロフスク着となるところ、なんと成田から3時間半のフライトで済むため大変便利である。エリゾヴォ空港は軍と共用となっていて、戦闘機が頻繁に離着陸訓練を行っている。国際定期便はないので、こじんまりとした出入国専用小屋が設けられていた。当チャーター利用客は、近ツリ・クラブツーリズム3グループ、阪急クリスタル、アルパイン、西遊旅行の其々1グループにロシア人ファミリー1組の約130名ほどであった。
 往路はグループごとに座席が指定されたが、帰路ではグループも連れも関係なく座席が割り当てられたため結局は搭乗したら自由席でOK…とおおらかなもの。

◇六輪駆動車に乗らないとどこにも行けない
 高原や川下り拠点に上るには、林道用の六輪駆動車(たぶん軍用だったトラック荷台に24人座席のキャビンを架装したバス)に乗って大揺れ片道2-3時間を覚悟する必要がある。巨大なタイヤと硬いサスのため舗装路でも激しい振動に耐えなければならないし、山道に入ると、とくにアバチャ山麓ベースキャンプに上るには、雪解け水が流れたあとの荒れた涸川の底を一時間もドッタンバッタンしなければならない。凄かったこと!! ツアーのグループ人数は、この車両定員によって決まるので最大で22名ということになる。

◇春夏の花が一斉に咲く
 短い夏の間を競うように北海道、利尻礼文や日本の高山植物に見られるような花々が一斉に咲く。ヤナギラン、チシマフウロやハンゴンソウが平地・山地問わずどこにでも見られ、高原ではクルマユリ、カラフトアザミ、カスティレア(インディアン・ペイントブラシ、日本には分布なし)、チシマシマザクラ、タカネシオガマ等々が一面に見られる。花の種類が豊富なことと、ロシア人の花ガイドの説明を日本語ガイドが通訳するのを聞きながらデジカメも撮らなければならず、結局は花名のメモはギブアップ。

◇その他のエクスカーション
 ビストラヤ川では、6人乗りゴムボートに乗り込み、滔々と流れる清流と大自然を満喫しながら十数キロを2時間かけてラフティングする。船上から釣り糸を垂らしていたら、釣り経験ゼロの私でも、30cmほどのニジマスがかかった。このあたりの魚さんはあまり警戒心もないようだ。多い人は3尾ほど釣上げ。
 温泉探訪は、2日目に訪ねたパラトゥンカ温泉郷の真新しい温泉プールは、日本の各地にあるような健康温泉施設風だが、縁からすぐ2mぐらいの深さになって同行者で泳げない方が危うくおぼれかけた。地元男性がプールサイドでビールを飲みながら酔っ払って飛び込んでいたり安全管理面ではお寒い感じ。中にはほっそりとした若いビキニのお嬢さんもいたり目のほうの保養にはなる。3日目には、六合村の尻焼温泉のような川底から湧き出す温泉のマルキ温泉へ。川原近くではやけどしそうなお湯が流れていたりするが、川の流れの縁で温泉と川水をまぜてちょうどの温度にして寝転がって極楽!極楽!! 更衣室やロッカーなんてしゃれたものは一切なく、女性陣はバス内でカーテンを閉めお着替え、男性陣は河原の簡単な小屋で…と野趣あふれるものではあった。ここには大きなキャンプ場もあって、サマーヴァケーションに入ったファミリーが沢山くりだしていたのに、あるのは自然だけで勿論トイレもないm(__)m
 エリゾヴォ近郊では、少数民族のイテルメンの民族舞踊(魚やカモメ、恋などがテーマ)を楽しむ。昔はアイヌとも隣り合った生活圏があったようで、しぐさや衣服がとても似通っていた。目鼻立ちの整った踊り子の娘さんが可愛らしかったこと!!

◇厳冬を生きる動物の種類は少なそう
 高原の林間では大きな蚊にたかられる(同行者のほとんどは頭用の防虫ネットをばっちり用意)が、刺されて凄く痒いというほどのことはないようだ。動物の類は少なく、アバチャ山のベースキャンプ周辺で丸々と太った地リスを見たぐらい。人のそばまできて、カメラを向けるとカメラ目線でポーズをとったり愛嬌をふりまく。鳥類や蝶なども、もっといてもいいように思うが、とにかく動物は少ない。
 現地のツアーオペレーター"カムチャツカインツール"の注意書きには《熊に遭遇した場合》など記されていて物騒ではあるが、奥地にいかない限り見かけないらしい。この地は、動物写真家の星野道夫さんがヒグマに襲われた(半島最南端のクリール湖畔、1996年)ところでもあることを思い出した。

◇質素な家庭料理風の食事
 市内のアヴァチャ・ホテルの朝食は、イクラ&バターをのせたパンと、タマゴ料理、サラダ(滞在3日間とも)、晩の食事もピーマン肉づめ、イクラご飯など質素だが日本人にも合うさっぱりした味付けでおいしかった。昼食は行動先のキャンプ地のテントで蟹スープ、ボルシチ、ピロシキなど。ホテルの食事で飲んだ"カムチャツカ・ビール"と"バルチカ・ビール"も、さっぱりした軽めのラガーで飲みやすい。
 毎食卓にかならず1L.パックのフルーツ・ジュースが何種類も出されていて自由に飲めるようになっており、かの地ではスタンダードのようだ。デザートでは、これも各種ジャムを添えたクレープがよく出てきた。オプションで<ダーチャでロシア風クレープ"ブリヌイ"作り体験>というコースもあることからクレープはよく好まれる食べ物らしい。

◇回りは日本車ばかり
 さすが極東ということもあって走っている車は右ハンドルの日本車ばかり。まるで国内にいるような街の風景である。同行の青年がカウントしてみたら9割にも達していたそう。多くは中古車のようだが、中にはレクサスなど最新モデルも見かけた。さすが路線バスでは右ハンドルが不適で、主に韓国からの左ハンドル中古バスが多い。

◇素朴で親切なロシアの人たち
 ホテル近くでみやげ物にするジャムを探していたら、英語を話す青年があらわれて離れていた食品店まで案内して店の人と交渉までしてくれたり、通りがかりの人たちが手を振ってくれたり…と、堅物そうに思っていたけどとても好印象でした。やはり伝統と文化の基盤のある民族だなぁとつくづく感じたしだい。
 ただ英語を話す人は多くなさそうで、お店などではまず意思疎通が困難だし、街中、看板とか商品とかはロシア語だけの表記なのでまったくちんぷんかんぷんでした。

【お花の参考】カムチャッカの花 2005カムチャッカ大自然ツアー 2005ペトロパブロフスクカムチャッキー 2007アバチャ山の花 2006カムチャッカの花 2008
【ツアー】 秘境カムチャツカ紀行5日間[クラブツーリズム] 私の旅程

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